女性活躍推進法に関連して

雇用における男女間格差の圧縮に向けた取り組みが進められています。歴史を振り返ってみましょう。

1804年にナポレオンが制定した『民法典』は「夫はその妻の保護義務を負い、妻はその夫に服従義務を負う」などと規定し、妻は財産の所有権や管理権を否定され経済的自立が不可能となりました。1776年のアメリカ独立宣言は全ての人の自由と平等を謳っていますが、アメリカで女性の参政権が認められたのは1920年、独立宣言から140年以上も後のことです。

 

産業革命後、工業化の進展した結果、男が外で働き、女は家庭を守るという性別役割分業(という差別の構造)が強まり、国民国家が建設されるようになると、男性中心の家族制度を整え、家族単位で税を徴収する仕組みが考えられました。

女性の参政権の獲得は、①ナイチンゲールらのクリミア戦争(1853年)での活躍。②第一次世界大戦(1914年~18年)の総力戦下、前線に出た男性に代わる女性の労働力の活用。また、③ロシア革命政府への対抗として、資本主義諸国も社会主義より優れていることを示す必要があったことなど(日本での女性の参政権獲得は1945年)からとされます。

 

 

ただ、それだけでは、性別役割分業の意識はなかなか払拭できず、国連が「女性差別撤廃条約」を採択したのは1979年(日本での批准は1985年。同年、雇用均等法制定。)、また、ILOの「家族的責任条約」は1981年(日本での批准は1995年)に採択されました。共働き家庭が片働き家庭を上回ったのは、今世紀への変わり目頃。女性活躍推進法は20164月施行です。